作曲家、シェリデン•サイフリードとの対話: ENGLISH
Q1. いつ頃から、どのように作曲を始めましたか?
初めて音を書き出したのは8歳の時、ちょうどピアノとヴァイオリンを習い始めて、譜を読み出した頃です。 その頃を前後して、楽器の他にもいろいろと刺激を受けました。私の両親はモーツァルトのお話の絵本を私が5歳のときにくれたのですが、その本にはモーツァルトの小さい頃の絵や自筆譜があったのです。他にも、「二階に住むベートーベン」というカセットテープがあって、ベートーベンの音楽を交えながら彼の生涯ついての朗読のテープでした。 私が作曲して、初めて演奏をした曲は11歳の時に書いたヴァイオリンデュオです。
Q2. どうやって作曲するのですか? ある決まった順序や方法に基づいて書くのでしょうか? また、作曲するときは、イメージや雰囲気が先にきますか? それとも実際の音や、響きの構成などから入るのでしょうか? やはり作曲するときは、自分の楽器が作曲に役立つのでしょうか?
作曲の仕方は自分の中で次々と変わっていますし、いろいろな方法を試しています。ひとつひとつの音に意味がありますから、始めの頃は抽象的に、そしてなお論理的にも書くようにしました。時には、楽譜の前で直感的に書いたり、ピアノと即興の要素などをとりいれて、録音しながら書いたりもしました。 その後は、歩きながら曲の構想から詳細にいたるまで頭の中ですべて練るようになりました。 今は、そのような要素すべてを自由に取り入れて、時にはコンピューターシステムのMIDIのプレイバックなどソフトウェアの技術も使って作曲しています。
これは作曲の技法に限らないことですが、大体の場合簡単で短いメロディーなどが浮かんできます。建築の土台のように、音楽でも良い基本の素材はとても大切なので、これだ!と思える良いものが浮かんでくるまで待ちます —以前はそこまで忍耐力もなかったのですが、今はそうするようにしています(笑)。 響きやヴィジョンなどはそのような良い素材の元に作られてきます。 基本的に、そのようにして自分の書き出したものをヴァイオリンかピアノで弾いてみたり、歌ってみたりします。 自分の弾かない他の楽器について書いているときは、自分の書いたものがその楽器上でどのように体感するものなのか想像したり、実際にその楽器の演奏者に聴いてみたりします。 今回のマリンバも実はそうでした。
Q3. 古典や現代作品に限らず他人の作品に対する評価、というのは演奏家と作曲家と違うものなのでしょうか?
そのようなことはないと思います。自分の作曲家としての評価も演奏家の評価と同等だと思っています。ただ、作曲家の視点からみると、全体像がはっきりと見えたり、うまくいかない時に「なぜ」なにがうまくいかないのか、というのが見やすいこともよくあります。醜い家は誰が見ても醜かったり、その醜い点も明らかであったりします。 でも、建築家や大工は「なぜ」そうなのか?という点を突き詰めて、どうやって「解決」していくのか? ということを人より速く考えつくことができるのではないでしょうか? それは、その道の職人さんだからこそできることですよね。 ピアノの先生なども、ある生徒がうまく弾けないパッセージなどの解決法、またなぜそうなってしまうのか。ということが人より速く見つけることができる。 個人的には、演奏家も作曲家と同じだけの想像力と創造力を持っていると思いますし、多くの演奏家は作曲や即興もします。 作曲家や演奏家という敷居を超えて「音楽家」であるというのが私の理想です。
Q4. アメリカ人の作曲家の国民的な音楽のスタイルや音の癖などはどういったものなのでしょうか? そういったものがあると思いますか?
あまりそういったことはふだん意識して考えていません。例えばよく一般的に言われているのは、アメリカ人作曲家として有名なコープランドのような音の世界で、ゆっくりしたペースで、ゆったりとした素材にブラスが加わり、完全五度や牧歌的なイングリッシュホルンなどがメロディーを奏でる。。。といったところでしょうか? いやいや、正直分かりません!やはり個人個人が違いますからね。
例えばバーンスタインなどの語法はリズムが主になっています。 ジャズやポップの影響ですね。アメリカ人作曲家は(もちろん全員とは思いませんが)、リズム感を大切にして、そして伝統的なものを少し恐れる傾向にあるのではないでしょうか。 個人的にはそれは良い事のように思います。--すこし極端な例ですが、例えば植民地時代のアマチュアアメリカ人作曲家、ウィリアム•ビリングスなど、音楽的ルネサンスを音楽的知識なしにしてオリジナルに成し遂げました! 私は自分の音楽の中のジャズやポップ、ブルースなどの影響が好きです。具体的な影響としては Led Zeppelin, Rage Against the Machine, Weezer, Eric Clapton, ゴスペル合唱、ピアノ音楽など、あげていくときりがないですが、いろいろなジャンルからたくさんの影響を受けています。
Q5. 憧れ、好きな作曲家はいますか? あなたが特に影響をうけたクラシックの先駆者とはだれでしょう?
なかなか難しい質問ですね。 私はルネッサンス後期の声楽音楽、特にパレストリーナやラッソなどが好きですし、バロックはけっこう何でも (バッハ、ヘンデル、コレッリなど) 好きです。それ以降になると相対的な時代の音楽スタイルが好きというよりも、個人的な作曲家に対して興味があります。 例えば古典派の音楽はそれほど好きではないのですが、ベートーベンと後期モーツァルトなど大好きです。 ロマン派の音楽は好きなところも嫌いなところも半々といったところでしょうか。 でも、ブラームスとマーラーはとても好きです。 自分の音楽に具体的な影響のあった作曲家とすれば、(もちろんこれはすべての作品に言えることではないですが、) バッハ、ベートーベン、ブラームスとバルトークといったところです。 でも、今回作曲したマリンバのトリオでは、上に上げた中の誰の影響も入っていません! トリオはちょっとタンゴ、ブルース、なにかラテン的な要素を組合わさったイメージですね。
Q6. 作曲家としての視点から、自分がある流れや作曲の傾向に属した作曲家だと思いますか? それともまったくのオリジナル思考でしょうか?
今の作曲の傾向というものがもっとはっきりとしていたならば、もしくは私がもっとそういったものをよく理解していれば、自分をカテゴリーに当てはめることもできるかもしれません。でもそれによって、作曲家として自分の作品の発展や創造力を限ってしまいたくもないと思います。 完全オリジナルなどと言い切れるほど自分に酔ってはいないですが、作曲家として音を、音楽を作りあげる誰もが、原点では「ベートーベンやビートルズなどちょっと忘れて、私の作った音を聞いてみない? これもけっこう良い音楽なんさ。」と言っているわけですよね。 だから、作曲家のだれもがちょっとはオリジナルで自分だけの思考というものを持ち合わせているはずですよね!
Q7. 作曲をする。ということにどのような意味を見いだしますか? 例えば、作品を書いているときに、その作品の未来、将来について考えますか? もしそうであれば、200年後にあなたの作品を演奏する演奏家に望むことというのはなんでしょう?
これは、なかなか難しい質問ですね。 簡単に答えてしまえば、私は優れた音楽を書きたい、ということです。 でももう少し具体的に書くと、私は作曲家であるとともに、良い人間でありたい。そして、満足できる人生を送りたい。そういった時の「良い」や「満足」という意味はひとそれぞれだと思いますが、作曲するときにもまず私は私自身が豊かでありたいと思っています。 だから、作曲している時は作品の将来などは考えません! もし音楽が優れていれば、好まれて将来的にも演奏されると思います。